演劇と社会教育 関口存男 関口存男と演劇

【演劇と社会教育】 〜関口存男の実践 著書『素人演劇の実際』に関する考察〜<4-1,2>

本文は、関口純氏により執筆された論文『演劇創造と社会活動の互換性について〜演劇空間に世界は如何に書き込まれるのか〜』からの抜粋であり、そこから関口存男に関係した部分だけを取り出し、再編集(&若干の加筆)されたものです。

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【関口存男と演劇】踏路社運動 〜演出家の誕生と関口存男〜<はじめに/1〜2>

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4.演劇とテクスト

4-1.演劇は作者を超える

 より具体的には、脚色・改作について関口はこう述べている。

 「この一例は、「脚色」または「改作」といふ一つの特殊な場合であるが、一般的に云ふと、これほどひどく手を入れて脚色することは現在の職業劇団では、殆んどやっていない。それには色々と原因もあろう、原作者が承知しないといふこともあろうし、実演者側に見識が足りなくて、或ひは能力がなくて出来ないといふこともあろう。けれども、機に應じ、用途に應じて、これ位のことはどんどんやらなければ、演劇はいつまでたっても自主的藝術とはなり得ない。原作者が承知しないなどといふことは、すこぶるおかしな話だと思ふ。坪内先生などはそんな人ではなかろうと思ふが、実際さういう作家が相当いることは事實らしい。さういふケチくさい料簡の作家は大いに反省すべきである。かういふことは日本人の最もいけない欠点で、太平洋戦に於て日本の科学がアメリカの科学に敗けたのも、やはり科学者たちのケチな個人籠守的態度の結果といって好い。全般の進歩向上のために人と協同し、且つは人の業績を素直に認めて之を利用しつつ自己の向上をはかり、且つは人に自己の業績を吝まず利用させて人の進歩を計ると云ふ気風、これが無い所には真の文化は興り得ない。これが無いところには、貧弱な小名匠は輩出しても、藝そのもの、術そのものは発達しないであろう」(関口,1948)(注7)

ここから関口の考える演劇、即ちテクストと身体表現を両翼としながらも、他の芸術から独立し、あくまでもそれ自体として自立する“舞台芸術としての演劇”の姿が垣間見られる。

そして、その社会的側面、即ち“芸術文化としての演劇”への眼差しを見て取る事が出来る。これは関口にとって終生変わらぬ演劇観で、それは23歳当時の日記からも窺い知る事が出来る。

踏路社の第二回公演に武者小路実篤作「悪夢」を取り上げる際、「学校の休憩時間に「悪夢」を読む。感心してしまった。確かに芝居になると断定した」(関口,1917)(注8)と書き記している。

当然、この「芝居になる」には“芝居になる”か“芝居にならない”かの判断が含まれている訳だが、これは“上演空間構築の特性”に照らし合わせた演劇として相応しいテクストか否かの判断である。

前日の日記に、「悪夢」上演を主張する役者(踏路社同人)たちとの会合で「(「悪夢」が)大変空気の濃厚な、非写実的なものなので、私は私の頭を少し疑った。

しかし、何でもできないものはない筈だと信じて承諾した」(関口,1917)(注9)とある。これは舞台空間での<演出術>・<演技術>、あるいは美術に於いて、この作品が上演可能かどうかについて思考を巡らせている様子が記されたものである。

演劇は、そのテクストに於ける文学性にも拘らず文学からも自立した、その本質に於いてオリジナルな芸術なのである。その作品はペンではなく演技で描かれる。

4-2.自由脚色

日本演劇史に燦然と輝く名女優、東山千栄子はその著書『新劇女優』の中で関口の翻訳台本(昭和5年6月、東京劇場にて上演された劇団新東京旗揚げ公演、ボーマルシェ作「フィガロの結婚」)を「自由脚色」と呼ぶ。

「台本は関口存男さんが原作を自由に脚色なさったもので (中略) 原作をボートクするものであるという非難を一部の文学者の方々から戴きました(中略)でも、このような種類のものを脚色することが必ずしもいけないことだとは私は考えませんけれども」(東山千栄子,1958)(注10)

 東山自身は築地小劇場以降の女優である。だが、東山は関口の盟友、青山杉作と公私ともに二人三脚であり、関口が劇団新東京の演劇講座で「演劇総論」を担当していたことからも、いわば“踏路社イズム”とでもいった様なものを受け継いでいる女優と言えよう。

 やはり日本演劇史を代表する俳優・演出家の宇野重吉が、東山のことを友田恭助や田村秋子(注11)、東屋三郎 (注12)等とともに「芸術派」と呼んでいることからもその辺りの事情が窺える。

注釈

(注7)關口存男『素人演劇の実際』1948 48〜49頁。
(注8)関口存男『日記』1917年3月2日。
(注9)関口存男『日記』1917年3月1日。
(注10)東山千栄子『新劇女優』1958 88〜89頁。
(注11)友田は、劇団新東京主催の演劇講座「演劇総論」を関口が担当する際、スケジュール調整や連絡係を担当しており、その際に関口へ送ったハガキが残されている。その後、文学座を結成するが、まもなく戦死。その夫人田村秋子とは関口の死まで付き合いが続いていたという。
(注12)第12代・第14代内閣総理大臣、西園寺公望の養子。踏路社第5回私演「幽霊」にエングストランド役で出演。

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【演劇と社会教育】 〜関口存男の実践 著書『素人演劇の実際』に関する考察〜<4-3>

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執筆:関口純
(c)Rrose Sélavy

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