文化村スタジオ 連載

私たちが乗り越えるべき ”環境”と”表現”・・・”悲しき現実” を芸術表現として昇華することは可能か?

世界は ”混沌” とし・・・私たちはそうした ”日常” から何を見出すべきか?

”暴力はいけない” “民主主義” ”蛮行”といった言葉を多く聞いた1日。

少し ”9・11” の時を思い出した・・・

まず、私が暴力に関して ”否定的” であることは言うまでもない。

ただ、”権力” もある種の “暴力” として機能し得る、いや、すでに機能しているという点も忘れてはならない。

そして、”利権”という名の、いわば意図された ”権力” の前で ”正当なやり方” が全く機能しないという”悲しき現実”も少なからず存在している。

そうした社会構造の中で、その ”志” に反比例するかの如く ”弱者” に甘んずるべく強制された魂が、その ”志” を全うしようとした場合、最後の手段、権力側から見れば ”蛮行” であるところの ”暴力” に訴え出ることは充分予想されるところであろう。

そうした ”悲劇” を生み出さない為にも、私たちは ”平等な世界” を目指さなければならないのではないだろうか?

その為には、”忖度” など不要な、”自分の意見を自由に発言できる” という当たり前の環境が必要だ。

その為には、それを所有する者も非所有者も、まずは “利権” という名の ”誘惑” から解放されなければならない。

そして、それぞれの資質に合った、それぞれの ”居場所” が必要だということ・・・そう、”芸術表現” とは “居場所” でもあるのだ。

”民主主義” を “数の論理” で解釈してはならない。

要らぬ悲劇は、二度と再び起こしてはならない。

もちろん戦争も・・・

執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy