Music ライフスタイル 文化村スタジオ 連載

プライベートスタジオの ”環境”と”創造”について

『音響ハウス』Blu-ray

映画『音響ハウス』のBlu-rayを購入した。

昨年、Amazonの映像配信で観ていたのだが、これは手元に置いておこうと思い・・・もはや”貴重な資料”なのである。

広い意味で ”このスタジオ”だから生まれた音、すなわち”スタジオ”を軸に、創造環境としての空間、”時”と”場所”について改めて考えさせられる映画でした。

私が仕事をし始めたのが90年代後半。だから、それよりもずいぶん前の70~80年代のエピソード・・・”いい時代”と”いい場所”・・・羨ましい限りです。もちろん、音響ハウスさんは今も現役のスタジオです。まことに興味深いですね。

90年代、Alesis adatの発売以降、ミュージシャンが自身のプライベートスタジオを持つことがステータスとなり、今では”当たり前”、もっと言ってしまえば ”常識”とすらなっている訳だが、そうした今だからこそ、スタジオが本来何をするところかについて改めて考えてみる必要がある様に思われるのだ。

確かに、まともな機材が安価で手に入る現在、時間貸しの”大きなスタジオ”を使うよりも”プライベートな空間”で時間を気にせずあれこれ試す方がより”創造的”と考えるのにも一理ある。ただそれは、使う側の問題も大いに関係してくる。

ある時期、仕事先の関係上、サウンドインさんに通っていた(数年間、通路を挟んで向かい側の会社に会議で毎週通っていたし)ことがあるのだが、ある時、「〇〇さん(当時、私がサウンドプロデュースを担当していた某新人歌手)のデモテープを録ろう」と担当者から言われ、すっかりウチのプライベートスタジオで録るものだと思い込んでいたら「スタジオ押さえたから!」の由。「もったいないですよ・・・」とは一応言ってみたのだが、「いやいや、スタジオの人とも仲良くなっておいた方が何かと良いしさ!」みたいな返事。まあ、贅沢させて頂けるというのに特に断る理由もないだろうと。で、当日スタジオに足を運んでみると「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」ならぬ、コントロールルームの向こうは、オーケストラも録音可能な巨大なブースだった!

巨大なブースに16歳の女の子がポツンと一人・・・

担当者曰く「ここしか空いてなかったんだよねえ」

まあ、これなんかが、上記 ”使う側の問題”の恒例。いわゆる ”無駄”というやつ。

まあ、気分的には”ふっくらソファ”に座って「あーだ、こーだ」と楽しませて頂きましたが(笑)

でも、まあ実際、こういった類の録音に関しては、素直にプライベートスタジオを使った方が何かと小回りも効いて良いのではないでしょうか。

ここまで極端な例は流石に少ないとは思いますが、多かれ少なかれ”似た様なもの的無駄”は存在するかと思います。

そして、こうした”使う側の問題”が、いつしか”スタジオ代が高い”といった話にすり替わっているケースも少なくないのでは?

それにしても、コンピューターの中に録音機やエフェクター、シンセサイザーなど全てが入ってしまっているというのはなんとも味気ない。まあ、最近の若者には、リビングのちゃぶ台(←これも死語か・・・)の上にノートパソコンひとつ置いて作曲・編曲・録音なんていうスタイルの方がピンと来るのかもしれないけど・・・。

”無駄”と”のりしろ”は別物だからね。

もちろん、ビンテージのマイクやコンプ、プリアンプ、シンセサイザーなんかを高額で手に入れたからといって”良い音”が作れるというものでも無いのだが。

そもそも”良い音”とは何だろう? これにはいつも頭を悩ませる。

ノイズがないのが”良い音”なのだろうか? そもそも最近の機材はそれほどノイズが発生するとも思えない。昔、レコードで聴いたフルトベングラーやトスカニーニが指揮するベートーベン、SP盤をリマスタリングしたものだったと思うが、売り物レベルに処理されていても結構なノイズ。じゃあ、これが”悪い音”なのかというと、そう簡単には答えが出ない。雑音の多さ(しかも演奏がよく聴き取れないレベルだったりする場合も)は確かに酷いが、これが音楽的な意味では”良い音”だったりもするのだ。まあ、厳密には”音は悪い”が”良い演奏”と言うべきなのだろうが。

音楽的に”良い音”を求める上で”ノイズが少ない”状態で録音しようとするのは人情というもの。ただ、その逆が成り立つとは到底思えない。

幾らノイズが少なく、解像度の高いクリアな音で録音しようとも、それが音楽的な音、音楽的に”良い音”となるか否かは別の話。それは音楽そのものの問題。だが、”音楽”は不特定多数の消費者(音楽を判断する上で必要な”耳”を持つか否かは関係ない)の趣味や価値観も込みで、市場において初めて”音楽”の程を為す訳で、そうなると”音楽的に良い音”などというパラダイム自体、またそうした”あたかも客観的聴取が存在しているかの様な振る舞い”すら怪しくなってくる。さらにTh・w・アドルノ風?調味料を加味すれば、関連産業全体を動員しての大掛かりな”ある種の集団洗脳”の様な働きもあるだろうし。

ただ、専門的ないしは業界的に共有された基準みたいなもの(音楽で言えば”訓練された耳”)は確かに存在する。だから、そうした専門的訓練を受けた人間と受けていない人間とが交錯する”市場”によって決定されたその価値が”些かどうかしている”としても、それをもって”音楽的に良い音”を即座に”趣味レベル”の話に還元してしまうのもかなり強引な気がしてならない。

この辺りを書き出すと論文レベルの字数が必要となるので、今回はちょっとしたリサーチクエスチョンに留めておくとしよう。

それにしても、スタジオには夢がある。

だって、”あんな音楽”や”こんな音楽”が生まれる空間なんですよ!

ちなみに、プライベートスタジオにもプライベートスタジオの”良さ”があります。

私なんかの例で言えば、創作の初期段階に関して言えば、一人で居る時の方が生産性が上がる様な気がします。こうした人は決して少なく無いと思いますが、そうしたタイプの人間にとっては、先ず”一人になる時間を持つ”上でもプライベートスタジオはおすすめです。ただし、ある程度の大きな音が出せることと、お気に入りの機材を自分好みに配置する上での最低限のスペースは必要です。

創作環境って精神的な部分が結構大切だと思うのですよ。まあ、人にもよるとは思いますが、私の場合で言えば ”常にヘッドフォン”といった環境は論外。また、機材の配置によっても結構影響されちゃう方です。配置によってあまり使わなくなる機材が出てきたり・・・まあ、そんなものです。

具体的な広さに関しては・・・経済的に許されるのであれば、それが海外セレブミュージシャンの如く”商業用スタジオレベルの空間”であっても問題ないのでしょうが・・・まあ、あまりにも広すぎる空間を一人で占有するというのも却って落ち着かない気もしますが。

御厨貴著『権力の館を歩く』によれば、「意思決定のスタイルは、「時空」構造の中でも、とりわけ「空間」によって規定されるのではあるまいか」とされ、「建築の中の“配室”の状況や、さらには部屋内の机や椅子の“配置”によって、政治決定のあり方が決まってくる」とあるのだが、ここでいう”意思決定”や”政治”を ”創作”、音楽で言えば”作曲”や”編曲”の際の意思決定と見れば、まさに言い得て妙である。

また、ここに音楽家(音楽を創る者)にとって”プライベートスタジオ(空間)を如何に構築するか?”といった意味がある様に思われるのです。

プライベートスタジオ=自分専用の空間ならば、自分の意思により”配置”は自由。要するに、”空間”のコントロールが比較的容易なのだ。延いては”創作”をコントロールすることにも繋がるといった塩梅。そうした可能性を秘めている点こそがプライベートスタジオの魅力だとは言えないだろうか?

小さな空間に安価な機材で”商品として十分通用する音”がレコーディングできる様になった現代だからこそ、”良い音”とは何なのか? ”レコーディング”とは何なのか? について改めて考えてみる必要が生まれている様に思うのは私だけだろうか?

執筆・撮影:関口純
(c)Rrose Sélavy