Rrose Sélavyについて

RroseSélavy(ローズセラヴィ)という頭に“R”が重なった不思議な名前は、20世紀を代表する前衛芸術家マルセル・デュシャンが由来のネーミングです。

デュシャンは既成品のToilet bowl(トイレ)に『泉』という名をつけてアート作品として発表するなど、その既製品(レディメイド)を読み換えることで生み出された作品、いわば“新たな価値を見出された既製品”で著名な芸術家です。

そのデュシャンが自ら女装して被写体となった写真(マン・レイ撮影)につけた名前がRroseSélavyでした。

幸か?不幸か?私たちの周りは既製品で溢れています。この世界、経済の名のもと、好むと好まざるに関わらずあらゆるモノたちは商品と化し、私たちはすでに自分の意思では後戻り出来ないところまで来てしまいました。

春の陽気に気分も軽く、ついつい気軽な気持ちでファッション誌なんぞを手に取り、一度ページをめくったら最後、それはまるで「止まると死ぬぞ!」とでも言わんばかりに「あれ買え!これ買え!」と矢継ぎ早に情報の波が押し寄せます…そして“参考商品“という名のお洒落な格好をしたモデルさんたちは毎月毎月、こちらに向かって素敵な笑顔を振りまいてくれます。

もはや蜘蛛の巣にかかった蝶の如く。

またそうかと思えば、”問題意識高め風“のある人たちは「ものは少ない方が良い!」とまるで滝に打たれる修行僧のような面持ちで「物を所有しているのが諸悪の根源!」とでも言わんばかりにプレッシャーをかけてきます。それはまるで新興宗教の如く。

果たして本当にそうでしょうか?

現代に生きる私たちが商品の過剰広告に晒されているのは確かとして、問題は、自身の目に適ったモノを正しく選択できているか?否か?ではないでしょうか?

洗濯機が当たり前な時代に全て手洗いを選択する生活があっても良いだろうし、掃除機よりもホウキと雑巾を信用する暮らしがあっても良いと思うのです。

もちろん、最新の機能を備えた洗濯機を選択する生活もあれば自動お掃除ロボットを選択する暮らしもあります。

いつの頃からかは分かりませんが、いつしか私たちの選択基準に“便利”であることは欠かせなくなってしまっているようです。

もちろん、現代の生活サイクルに則した基準と言えなくもない訳ですが、そうした“便利”を採用することで空いた時間を“忙しさ“で埋め続けているような気がするのは私だけでしょうか?

卵が先か?ニワトリが先か?というような話ですが・・・

しかし、そんなふうに考えてみると、商品=既製品によって私たちの人生時間が規定されていると言えなくもない。

では、そんな状態から“自分の人生“を取り戻すには? 

“人生”が線ならば“日々の暮らし”は点となります。

そして点が集まり線になります…“人生”が“日々の暮らし”の積み重ねであるならば、“理想の人生“を手に入れるためにも、その一つ一つを大切にしたいものです。

自らの視線で既製品に新たな価値を見出すこと、そして自らの意思で選択することで“理想の暮らし”を手に入れる…筆や楽器を使っての“いわゆる芸術作品”の創造はもちろんですが、自らの感性を用いた既製品の脱構築、“既製品に新たな価値を見出すこと”もまた創造なのです。

<衣・食・住>×創、これが私たちRroseSélavyの理念です。

また、デュシャンはこの女装(RroseSélavy)を通して2つの人格を同時に持つことを意図したとされています。そして、セラヴィという響きにフランス語のC'est la vieが内包されているのは言うまでもありません。

老若男女、すべての人の唯一無二“たった一度きりの人生”とともに。

C'est la vie!(これが人生だ!)

Rrose Sélavy の歩み

「Rrose Sélavy」では10年以上、舞台・イベントの制作を行なっており、2012年には新宿御苑にイベントスペースをオープンしました。

演劇公演やミュージカル、コンサート、展示会、新人俳優のための研修会まで、毎月さまざまなイベントを実施してきましたが、2020年、コロナ禍をきっかけに今後を見据えて表現の場をオンラインに以降することを決定。

Rrose Sélavyはこれからも、さまざまな表現を追求していきます。

WebマガジンT2<TokyoTime>とは?

東京には独自の時間が流れているように感じます。それはもはや“東京の時間”ではなく“東京時間”といった方がしっくりくるぐらいに“固有名詞”ならぬ“固有の時間”なのです。

ただし、それは必ずしも“良い意味”とは限らず、むしろ社会の歯車、そうした部品の一部として機能する“悲しき人間のあり方”として、マイナスイメージで語られる場合の方が多いように思われるのです。

確かにそうした面は否定できないように思われます。ですが、だからこそ単なる部品ではない生き方、自らの自由意思を反映させることができるような生き方への切望といったものが生まれるのもまた必然と思われるのです。

そして、それこそが私たちの東京時間=Tokyo Timeなのです。

もちろん、これらは東京に限った話ではないと思われます。ある程度の規模を持つ都市ならば、多かれ少なかれこうした“時間に追われる生活”が幅を利かせているのではないでしょうか?

私たちRroseSélavyが運営するwebマガジン T2<TokyoTime>では、こうした“時間に追われる生活”から解放され、“自らの自由意志を反映させた人生”を取り戻すための“2、3の事柄(あれこれ)”をお伝えしていこうと考えております。